20代までは飲み会などの“お付き合い”はとても大事だと思い、友達との飲み会はもちろん上司の誘いもすべて断ることなく参加していましたが、30代で疑問を持ち、40代になると「良い飲み会・悪い飲み会」について考えるようになったCOMOです。
今回は飲み会にも2種類ある点について考えてみたいと思います。
※人数的なイメージとして5~6人ぐらいの飲み会を想定しています。多くても10人が限度だと思います。それ以上の人数は飲み会というよりセレモニー(式典・儀式)だと個人的には思っていて、満足度に関する基準が変わってきますので、ここでは5~6人の飲み会をイメージしてお読みください。飲み会とセレモニーの違いについては後半に書きたいと思います。
結論としては、「99.99%飲み会に参加するのは時間の無駄」ということになります。
「良い飲み会・悪い飲み会」の定義
ポイントは翌日どう思うかです。
良い飲み会とは、
翌日、昨日の飲み会を振り返った時に有意義な時間だったと思える
ということになると思いますし、
反対に悪い飲み会とは
翌日、昨日の飲み会を振り返った時に無意味な時間だったと思える
ということになると思います。
友人との飲み会でも、会社の同僚との飲み会でも、会社の上司との飲み会でも、いわゆる忘年会や歓迎会などのたぐいも全部含めて飲み会と称されるものは全て上記の定義が当てはまると思います。
それぞれ詳しく見ていきましょう。
「良い飲み会」の例
先ほども書きましたが、翌日に振り返って【有意義な時間】だったなと思えることが大事だと思います。
参加したことによって
「勉強になった」
「気づきがあった」
「発見があった」
「元気が出た」
「勇気がもらえた」
「俺も頑張ろうと思うようになった」
など精神的にプラスになったということでもいいですし、
(高級店に行って)「こんな美味しい料理初めて食べた」
(珍しい料理、例えば南インド料理レストランに行って)「こんな食材初めて食べた」
(眺望の良い夜景の素敵なレストランに行って)「こんな場所初めて来た」
など初めての経験をしたりして世界が拡がったというのも良いと思います。
もしくは、もっと打算的に
「すごい情報を得ることができた」
「今度の接待で使えそうな店を教えてもらった」
「今度のデートで使ってみよう」
など、ビジネスでもプライベートでもその飲み会に参加することによって今まで知らなかった何かを知ってプラスに作用するなら、それは良い飲み会だと思います。
なにせ貴重な時間とお金を使うわけですからそれに見合ったリターンを考えないといけません。
友人たちと久し振りの再会、そんな時もリターンを考えるのでしょうか?損得で考えることでしょうか?
私の答えはイエスです。リターンを考えるのは当然だと思います。逆に言うと、何も得るものが無い、何の刺激も与え合わない、何の発見も気づきも無い友人って本当に友人なんでしょうか?と思ってしまします。
あと、仮に上司のおごりなどでタダで飲み食いできたとしても、人生で一番貴重な【時間】というものを費やすわけですから、「タダだからいいか」と考えるのは安易過ぎると思います。
ちょっと注意が必要なのは、
「気になっているあの子と親密になれた」
「憧れの経営者とお近づきになれた」
みたいな場合、一見飲み会に参加して有意義な時間を過ごせたように思いますが、片思いの人や憧れの経営者と仲良くなれたのが酒の席だけでは意味がありません。
きっかけが出来たのはいいとして、その関係が続いたり発展して初めてその飲み会が有意義だったかが決まると思います。
「悪い飲み会」の例
繰り返しますが、大事なのはその飲み会の当日ではなく翌日です。
翌日冷静になって振り返った時に
「何も得られるものが無かった」
「ただバカ騒ぎしただけだった。その時は楽しかったけど、、、」
「もし昨日の飲み会に参加していなかったとして、なにか不利益になることはあっただどうか?」
「時間もお金も無駄にしたとしか思えない」
こんな感想になったのだとしたら、それは「悪い飲み会」でしょう。
2度と参加しないように日頃から注意する必要があると思います。
あと、出欠を自分の判断で選べない飲み会というのがあると思います。
例えば会社の上司に無理やり連れて行かされる飲み会などです。
こういった「無理やり連れて行かされる」飲み会はあとの項で詳しく書きますが、【飲み会】ではなく【セレモニー】に分類されます。
「部下とのコミュニケーション」とは名ばかりで、上司の武勇伝や説教やどうでもいい世間話に付き合わされる部下たちにとっては“時間の無駄”を通り越して“拷問”といってもいいかもしれません。
こうした避けられない拷問は【セレモニー (式典・儀式) 】としてとらえ、無駄な抵抗はやめておとなしく従いましょう。
「飲みニケーション」という幻
もはや死語かと思いきやいまだにしぶとく生き延びているこの言葉。
酒の力を借りて、メンバー同士が馴れ合ったり親密な会話ができるようになるなどと言いますが、冷静に考えればおかしな話です。
小学校や中学校のクラスメートとは酒の力を借りて仲良くなったのでしょうか?
高校球児たちは酒の力を借りてチームワークを築いているのでしょうか?
大人の集まりだって酒の力なんか借りなくてもお互いに信頼関係を築いている集団はたくさんあります。
むしろそっちの方が本来の姿だと思います。
クラスメートとは一緒に勉強したり一緒に遊んだりしているうちに、お互いを知り、仲良くなって、生涯の友になったりします。
高校球児たちも「甲子園に出場するぞ」とか「優勝するぞ」という共通の目標があるから、共につらい練習にも耐えられ、友情や信頼関係が築かれていきます。
お酒がなくてもコミュニケーションを良くすることは可能です。
会社によっては「一緒にお酒を飲めば仲良くなれる」や「居酒屋で話せば打ち解けられる」と本気で考え、飲みにケーションを奨励しているところもあるらしいのですが、正気の沙汰とは思えません。
大人であれば酒の席では誰しもその場は楽しそうに振舞います。一見打ち解けたように見えます。
でもそれは所詮アルコールが効いているうちだけです。
アルコールで出来た関係はアルコールが抜けたらその関係も消えてなくなります。
職場での信頼関係やチームワークは仕事を通じてでしか築けないと思います。
飲み会とセレモニーの違い
ここで【飲み会】と【セレモニー】の違いについて書きたいと思います。
私の中では、会社の行事などで参加することが強要される「忘年会」「新年会」「暑気払い」や「歓送迎会」、社長の「お誕生日会」など、時期が決まっていて毎年慣例で行っているもの、仕方なく開催しているもの、なぜだかやっているものを【セレモニー】と呼んでいます。
ちなみにお酒が伴わなくても、「入社式」や「朝礼」なんかも【セレモニー】と呼んでいます。
【セレモニー】は有意義だったかどうかなど考えてはいけません。意味もほとんどありません。
ただの儀式です。
いままでずっとやってきているから今年もやる。世間がやっているからやるんです。
私が以前いた会社では12月中旬に「忘年会」があり、仕事納めの日に「納会」があり、年が明けて仕事始めの日に「新年会」がありました。3週間くらいの間に3回も飲み会をやってました。それも毎日のように顔を合わせている連中とです。特に話す話題などもなく、ただ腹を満たすだけの行為です。誰も意義も意味も考えません。
百歩譲って忘年会では一年間の振り返りなどをし、新年会では新年の抱負なんかを全社員が発表するとかあればまだやる意味があるような気がしますが、そんなこともなくただブタのように飲み食いするだけの会でした。なぜそんな会をやっているかというと理由はただ一つ「社長がやると言ったから」です。
これはただの儀式です。(もともとはちゃんとした意味があったかもしれませんが、今や形骸化しています)
「忘年会」などは毎年やっているからやるんです。世間の皆がやっているからやるんです。
いちサラリーマンが「忘年会って意味あります?」などと言ってもいらぬ軋轢を生じさせるだけで、なにも変わりませんので【儀式】と割り切り嵐が過ぎ去るのをじっと耐えましょう。
一方【飲み会】は時期などが決まっておらず、強制参加ではなく自然発生的に有志によって企画運営されるもので人数は10人以下だと思います。
人数的に10人を超えてくるようだと、話題が分散しがちで、5人と5人に分かれてしまったり、ほとんど発言しない人が出てきてしまったりと、全体の統一感がなくなり全員の満足度を高めるのは難しくなると思います。
N人が集まったのならそのN人で2時間なりの時間を共有するべきだと思います。
(5人で話したいなら5人で集まればいいじゃん、と思ってしまいます)
その限度が10人くらいだと個人的には思います。
別に10人を超える人数の飲み会が悪いというわけではありません。私の定義上、10人以上は【飲み会】ではなく【セレモニー】として分類されるだけです。【セレモニー】であれば参加者は役割を演じることが大事であり、有意義かどうかは二の次になります。
逆に、少人数でも会社の上司に無理やり連れて行かされる飲み会は時期こそ決まっていませんが、ここでいう【飲み会】ではなく【セレモニー】に近いです。無駄な抵抗はやめておとなしく従いましょう。
また、「忘年会」でも有志が企画運営し自由参加で10人以下であれば【飲み会】に分類されます。
この『自由参加』というところがポイントで、参加するかしないかは皆さんの判断にゆだねられています。
仲の良い友人から飲み会の誘い、、、スケジュール的には問題ない、、、しばらく会ってないからな、、、
ここで、いったん冷静に考える必要があります。
会ったところで、お互いの近況報告、そして会社の愚痴の言い合いにならないかをシミュレーションしてみます。お互い元気かどうかの確認なら連絡を取り合っている段階で取り急ぎ生きていることはわかります。
99%最終的には愚痴の言い合いかつまらない世間話、もしくは学生時代の昔ばなしになり、結局何も得られず、何も変わらず、明日への活力にもならないのだとしたら、それは【悪い飲み会】なので参加は見送りましょう。
でも1%でもなにか新しい気づきや発見、刺激をその友人と共有できそうなら参加する価値はあるかもしれません。ここはご自身で判断するところです。
「良い飲み会」の作り方
「良い飲み会・悪い飲み会」について思うところを書いてきましたが、最後に「良い飲み会」にするためのポイントについてまとめたいと思います。自分が幹事の時はもちろんですが、一参加者だとしても意識すべき点です。
- 参加者全員の利益になっているかを常に考える
→一人でも退屈な人・不満足な人が居たら失敗。全員が満足するよう努める。
→全員が理解でき、その上なにかしらプラスになると思われる話題を意識する。
→全員一度は発言する。誰か一人の独壇場にならないようにする。
→ギブアンドテイクではなく100ギブ1テイクの精神で発言する - 全員が参加費を支払う
→誰かのおごりとかはダメ。全員がお金を払ってでも参加して良かったと思えることが大事。
多少、年長者が多く払うとかはいいですが、基本は割り勘です。
→参加費を払うことによって、その飲み会が有意義だったかをシビアにジャッジできるようになる。 - 愚痴・悪口・陰口は一切禁止
→その場の品位が下がるだけ。翌日以降のポジティブな行動にはつながらない
このように「良い飲み会」とは参加者全員の努力によって成しえます。
お互いに教えあい、学びあい、高めあい、良い影響を与えあえる関係でない人とは飲まない方がいいと思います。
「楽しければいいじゃん」「愚痴を言わなきゃやってられない」「飲み会に努力とか意味わからない」などと言う人とはお付き合いしない方がよいのではないでしょうか。
もう一度書きますが、「良い飲み会」とは参加者全員の努力によって成しえるということを忘れてはいけません。そしてこのことは「良い飲み会」を作ることだけに限った話ではなく、人と人が関わるあらゆる社会活動にも同じことが当てはまると思います。
おまけ -二次会について―
行った方がいい二次会というものはあるでしょうか?
「二次会も参加してホント良かった~」という声を聞いたことがあるでしょうか?
基本的には二次会・三次会は究極の時間の無駄、お金の無駄だと思います。
唯一例外は、会社関係の抑圧された一次会が終わり、うるさい上司などが帰った後に気の置けない仲間と飲み直す二次会です。
人間は極度のストレスにそう耐えられるものではありません。
そこのところを心得ている上司は、一次会で部下たちが楽しめていないのをわかっているから、一次会が終わったら二次会用のお金だけ渡して自分はとっとと帰ります。
実際、こういう事が出来ている上司はなかなかいないと思います。
話としてはよく聞くエピソードですが、私はこういう上司に出会ったことがありません。
自分がそういう立場になった時には是非実行してみたいと思います。
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