「育ちが良い人」しか採用しない理由

well-bred サラリーマン悲喜こもごも

いつか起業して社長をやってみたいと思っている平社員のCOMOです。

今回は採用について考えてみたいと思います。

※本文を読んでいただく前に見て頂きたい動画を見つけましたので下に貼っておきます。
まさに《我が意を得たり》といった内容で、この動画を見て頂くことによって、より本文の内容が伝わるかと思います↓

【育ちがいい人だけが知っていること①】育ちの良さは身につけられる(Etiquette Habits Only Well-Mannered People Know)

【育ちがいい人だけが知っていること②】品がにじみ出る話し方と見た目とは?(Etiquette Habits Only Well-Mannered People Know)

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【「育ちが良い人」しか採用しない】の真意は?

一般的に「育ちが良い」とは、幼少の頃から教養やマナー、人として大事なことなどをしっかり教えられ、言葉遣いや立ち居振る舞いに粗野なところが無いように育てられた人を指すと思います。
もしくは、それが当たり前の環境で育ったため自然と身に付けていったのかもしれません。どちらかというとこちらの方が元々のような気がします。

幼少期にこのような育てられ方をするのは往々にしてお金持ちの家だったりするので、「育ちが良い」という言葉には、イコール「お金持ちのお坊ちゃま、お嬢様」という意味合いも含まれたりします。

では、そんなお金持ちの家で育ち、 教養やマナーをしっかり身に付けた人しか採用しないなどと言って、無名の弱小企業に応募などそもそもあるのでしょうか?

まず、無いと思います。

テレビ局のアナウンサーの募集なら応募もあると思いますが、無名の弱小企業にわざわざエントリーなどしてこないでしょう。

これでは1人も採用できないことになってしまいますが、私の定義する「育ちが良い人」というのは一般的な定義とはちょっと違うので、解説させて頂きたいと思います。

「先天的育ちが良い人」と「後天的育ちが良い人」

私の勝手な定義では、一般的な意味での「育ちが良い人」は「先天的育ちが良い人」となり、私のいう「育ちが良い人」とは「後天的育ちが良い人」という意味になります。

では「後天的育ちが良い人」 とはどういうことかというと、「自分の意志で教養やマナーを身に付けていった人」と定義したいと思います。

「先天的育ちが良い人」 も育てる過程の中で親の躾や環境によって形成されていくので“後天的”ではあるのですが、そこに本人の意思は関係なく、ものごころつく前から親などの自分以外の人によって教養やマナー、人として大事なことなどを教えられていたと思います。この状態を“先天的”と呼ぶことにしました。(ほかにもっといい語彙があれば教えていただきたいです。)

ということで、タイトルの「育ちが良い人」しか採用しないの真意は、「自分の意志で教養やマナーを身に付けていった人」 を重視する、ということです。
もちろん一般的な意味での「育ちが良い人」(私流の呼び方の「先天的育ちが良い人」)も大歓迎ですが。

もうちょっと、詳しくみていきましょう。

お金持ちの家に産まれ、ちゃんと育てられた人のオーラは、やはり一朝一夕に身に付くものではありません。

言葉遣いや立ち居振る舞いを庶民がマネしようとしても、ふとしたところでボロがでるのがオチです。
そんなことは百も承知で“後天的” に育ちが良い人になろうとする(マナーや教養を身に付けようとする)ところに価値があると思います。

かく言う私も中流家庭(中の下?下の上くらい?)で育った庶民ですから“育ちが良い”どころか、畑に転がっているジャガイモみたいなものでした。(ジャガイモに失礼か?)

それでも両親は社会に出て最低限恥をかかないことぐらいは教えてくれていました。
とても感謝しています。

そうは言っても両親も庶民です。その子供はジャガイモに変わりありません。

そんな私があるきっかけで新しい世界に出会います。

ある時「品」と出会い衝撃を受けます

どういうことかと申しますと、とても上品な人と出会い、とても丁寧な対応をされ今まで経験したことがないような感覚になった、という出来事がありました。

もう少し具体的に書きますと、当時私は19歳くらいだったと思いますが、アルバイトをしていまして、ピザの配達のバイトをしていました。その配達であるお宅へお届けにあがった際、初老のご婦人が玄関先まで出てこられました。私はいつものように「お待たせしました~」という感じでピザを渡したのですが、そのご婦人はなんとも穏やかな口調で「ご苦労様です。ありがとうございます。」というような内容のことを言ってくれました。

正直申しまして、その出来事自体は20年以上経っても覚えているのですが、その時の丁寧な口調や雰囲気が衝撃的過ぎて、具体的になんという言葉を掛けられたかは覚えていません。今思えば、そういう丁寧な言い回し、上品な言葉遣いに普段から接していないから自分のボキャブラリーの中に無い言葉を言われ覚えられなかったのだと思います。ただ、とても丁寧で上品だったという印象が強烈に残りました。
配達が終わり店へ戻るのですが、どうやって戻ったのか覚えていないほどフワフワした気分になっていたのを覚えています。

なんでそこまで「衝撃的な出会い」だなんて思うのだろうと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、こちらは配達のバイトをしているただの学生です。3年以上やりましたがどこの家に配達にいっても流れ作業的にピザを渡してお金を受け取るだけの仕事です。ぞんざいに扱われたこともありませんでしたが、かといって丁寧に対応されたこともありませんでした。ありませんでしたっていうとちょっと語弊がありますね、丁寧に対応してくれたご家庭はたくさんありました、でも、「上品さ」みたいなものを感じたのはその時がバイト人生の中では最初で最後でした。

「おいらなんかただのバイトなのに、どうしてあんなに丁寧に品良く接っしてくれたんだろう?」

「なんだかわからないけど、丁寧に品良く接してもらえるととても気分がいい」

「おいらもあの人みたいに、誰に対しても礼儀正しく品良く丁寧に接することが出来るようになりたいな」

「どうしたらあの人みたいになれるんだろう?」

このような思考過程があり、私の探求の旅が始まったのでした。

そのご婦人は私に対して特別丁寧に対応したわけではないと思います。いつも通りの口調でいつも通りの立ち居振る舞いだったのだと思います。それがこのジャガイモみたいな19歳の少年にとてつもない、人生を変えるほどの影響を与えました。

「粗にして野だが卑ではない」 をさらにアレンジ

「粗にして野だが卑ではない」という有名な言葉がありますが、 “粗野な性格だが卑しい性格ではない”という意味で、とても男らしくて好きな言葉であります。

この言葉を、今までの話の流れを加味して私なりにアレンジすると、こうなります。

粗もダメ野もダメ卑は論外

意味は文字通りで、粗野な言動や性格はダメですよ、と。卑怯なことは論外ですよ、と。

いかがでしょうか?

庶民の生まれでもこれなら意識すれば出来そうではないでしょうか。

こういうことを意識するようになると、今度は他人の粗野なところ、お行儀の悪いところが目に付くようになります。

特に食事です。

食べ方の汚い人がなんと多いことか…(自分も決して人様に偉そうなことが言えるほどではありませんが)

牛丼屋、ラーメン屋、ファストフード店、ファミレス、、、ちょっと見渡せばみんなスマホ片手に画面を見ながら食べている。それも猫背でひじをついたまま。若い人だけでなく、いいおじさんもそんな感じだから、日本の行く末が案じられます。
こんな姿、自分の子どもに見せられるのでしょうか?子どもがスマホを見ながら食事してたり、ひじをついたまま食べていたら注意するのでしょうか?
こんな日本人の姿を見た外国人観光客はどう思うのでしょうか?未開の地の野蛮人と思われないでしょうか?

以前、うちの社内でこんなことがありました。
社長をはじめ全社員(10人)でご飯を食べていた時のことです。食べ方のきたない取締役がいたので社長が「もうちょっと上品に食べられないのか」と注意しました。そうしたらその取締役は「メシぐらい好きに食わしてよ」と言って直そうともしませんでした。
そのやり取りを見ていた従業員一同は「こういう人になったらいかん」と思うのでした。そしてその取締役の求心力は一気に落ちたのでした。当たり前です、こんな人は尊敬に値しません。いくら仕事ができてもリーダーとしては失格です。

採用試験の三次面接は会食

弊社(今はまだ架空の存在ですが)の採用試験では筆記試験、一次面接、二次面接を生き残った人だけが社長との三次(最終)面接に臨めます。

その三次(最終)面接は社長との会食です。

やはり食事の様子に、その人の人となりがあらわれると思います。
大げさに言えばそれまでの生き様です、人生そのものです。簡単には直せません。

ここで上手に優雅に食べられて、会話も弾めばポイントはかなり高いでしょう。
二次面接まででそうとう絞り込まれているので、よほど変なところが無い限りは採用となります。
たとえ上手に食べられなかったとしても、それで即失格にはなりません。問題は慣れないながらもマナーを守ろうとしたかどうかです。

三次面接は事前にお店の名前が応募者に伝えられます。
そこで和食の店なのか、イタリアンの店なのか、フレンチの店なのかなどがわかります。

例えそんなに普段から食事のマナーに気を付けていなかったとしても、最終面接で必要となれば必死に勉強するはずです。和食なら箸の作法とか、洋食ならナイフとフォークの作法など。
付け焼き刃でも一夜漬けでもいいと思います。その最終面接を乗り切ればいいのですから。

三次(最終)面接ではそこを見たいと思います。
後天的でもいいので“育ちがいい人風”を演じれるかです。

マナーとは相手への配慮です。
無人島に自分一人しかいないのならマナーもなにもありません。
相手への配慮がない人とは一緒に働けないと思います。
長時間一緒にいるのは苦痛になると思います。
粗野な人、卑しい人、他人への配慮に欠ける人は採用しません。

というわけで、私の妄想の採用試験のお話でした。

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COMO

【人生悲喜こもごも】のCOMO です。
20年以上サラリーマンをやってきた経験をもとに、いろいろな角度から役に立ちそうな情報を発信していけたらないいなと思っております。
また、【人生全部コンテンツ!】という考えのもとに、トレードのことや料理のこと、プラモデル作り、ラジコンのことなど趣味についても発信していきたいと思います。
人生ってホント「悲喜交々」。そして「人間万事塞翁が馬」と思うことも多々あります。あまり難しく考えず「川の流れのように」「時の流れに身をまかせ」て生きていければと思っております。

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